「雄々しくあれ」   06.24  申命記31:1〜8,ヨハネ16:31〜33

  一つの時代が終わり、イスラエルの民は激しい変化を迎えようとしていました。生活も今までとは一変してしまいます。
人々は大きな不安に覆われていました。エジプトからの脱出、荒野の40年の旅、そこにはいつもモーセがいました。
モーセのいない生活は考えられません。しかし、そのモーセがいなくなるのです。この危機の中で、イスラエルは何を見、
どこに立つことで、この危機を乗り越えていったのでしょうか。  モーセは「強く、雄々しくありなさい」と言います。

 この激励は、ただの励ましではありません。猪突猛進の勧めではありません。またイスラエルの人たちの底力に信頼
しているのでもありません。モーセは彼らの背きの深さを知っていますので、がんばれそうにないことをよく知っています。
そんな彼らに「強く雄々しくあれ」と語れたのは、この激動の時にも変わらない神の働きかけを見ていたからです。

 変化に目が奪われるのでなく、決して変わらない「神の働きかけ」という一本の筋を見据え、それを信じていました。  
神さまを信じ抜くことなしに、人は先に進むときの強さや雄々しさを持てはしません。人は将来を支配してはいないのですから、
将来に対しては心配するしかできません。あるいは根拠のないがんばり、猪突猛進でしかありません。
 歴史を支配しておられるのは神です。

 その信仰によって私たちは、どんなときでも雄々しさを保つことができます。その神が、私たちを救うために働きかけ続けて
こられたのを知っています。み前に出ることを妨げるものを取り除き、今礼拝するものとしてくださっています。今、私たちを礼拝の
民としてくださった方が、私たちを完全な救いに至るように、御国に向かって、忠実に導き続けてくださいます。
だから、私たちは安心できます。  

 
イスラエルは、激変する周囲の状況でなく、また自分の罪深さでなく、神の変わらざる働きかけに目を注ぎ、
信じることで雄々しさを獲得していきました。私たちもそのようにして、進むのです。